高市早苗は父島事件の加害者が祀られた靖国には参拝するという。
加害者に参拝、
信じられない。
高市はどういう神経、どういうモラルを持って永田町をうろうろしているのか。
宴会で酒の肴に食い散らして「これは美味い。お代わりだ!」と喜んだ英霊兵士加害者には参拝するが、被害者であるウォーレン・アール・ボーン(Warren Earl Vaughn)中尉について高市は何も言わない。
被害者からは逃げているのだ。
被害者から逃亡して自民党の政治家は務まるのか?
そんな政党なのか?
日本国民なら誰でも知っている父島事件(小笠原事件)なのにである。
アメリカGHQ法務局調査課報告書(INVESTIGATION DIVISION REPORT,LEGAL SECTION,GHQ/SCAP)137号 388号 392号 2704号によれば、靖国英霊兵士たちが宴会でボーン中尉を喰った詳細な供述がある。
1945年2月、靖国英霊兵士たちの信じられないような蛮行が父島で行われた。
まずは末吉実郎海軍大尉が、独立歩兵第308大隊長の的場陸軍少佐を経由して入手した捕虜を、海軍において処刑し、独歩308大隊において、その遺体を大隊附軍医に解剖させて、摘出した肝臓等を嗜食した。
そして 同月、新しく捕虜となった2名の内、1名は陸軍にて立花旅団長の旅団命令によって処刑・嗜食したとされ、もう1名は海軍にて処刑され、父島方面特別根拠地隊通信隊司令吉井静雄海軍大佐らが特根通信隊において肝臓等を嗜食した。
また、23日には1名を立花陸軍少将の依頼により海軍において処刑・嗜食したとされる。後の証言によれば、立花は米兵の手足の肉や内臓を食べると、「これは美味い。お代わりだ!」と喜んだという。
第109師団参謀として司令部のある硫黄島から父島に派遣されていた堀江芳孝陸軍少佐は、立花らの素行にかねてから不安を感じており、捕虜の将校を自分の英語教師として身近に置くことで守っていたが、3月26日、外出後に戻るとすでに処刑され森海軍少将・的場陸軍少佐らによって喰われた後であったとされる。
的場陸軍少佐の部下の供述調書によると、犠牲者の一人であるウォーレン・アール・ボーン(Warren Earl Vaughn)中尉の処刑・嗜食時に的場は以下のような命令を発したという[4]。
一、大隊は米人飛行家ボーン中尉の肉を食したし
二、冠中尉は此の肉の配給を取り計らうべし
三、坂部軍医は処刑に立会い、肝臓、胆嚢を取り除くべし
昭和20年3月9日 午前9時 大隊長 陸軍少佐的場末勇