中東を憎悪と分裂と報復の地に変えることを望んだ者たちの戦略が遂げられつつある。
「今後何もいわせず何も要求させないためには、ひとり残らず死なねばならない。殺戮が終ったとき、あたりは静まりかえっていなければならない。そして殺戮とは常にそうしたものなのだ、鳥たちをのぞいては。」
殺戮爆撃に駆り出されたパイロットは捕まれば悲惨な結末が待っている。
1944年9月、小笠原諸島父島で日本軍混成第一旅団に撃墜されたアメリカ軍空母のアベンジャー爆撃機パイロット8名のうちウォーレン・アール・ボーン中尉等5名は立花芳夫陸軍少将、森国造海軍少将、通信隊司令吉井静雄海軍大佐など30人近い日本軍将兵によって酒宴の席で肝臓、胆嚢を取り除いて焼肉や煮物にして食われてしまった。
食料が充分に足りていた日本軍によるあまりにも有名な人肉食「父島事件」である。
この映像が流されて直ぐヨルダン軍は1月3日に既に殺害されていたと発表したが、そのことを軍は既に知っていたはずである。
1月3日の殺害以前にイスラム国はヨルダンに対して爆撃に参加するのを止めろとか有志連合から抜けろと迫っていたはずである。
それに対するヨルダンの返答の報復として1月3日にカサスベ中尉は処刑されたはずだ。
空母も戦闘機もないイスラム国にとって「捕虜」は大きな武器である、
去年12月から1月に掛けてイスラム国とヨルダンはカサスベ中尉の解放・処刑を巡って交渉を続けていたのだろう。
それが決裂していた。
イスラム国は今まで人質については開放の条件を出し、それが受け入れられれば開放し、受け入れられなければ処刑して来た。
要求も結末も直截的で小細工はしていない。
ヨルダンとイスラム国によるパイロット開放交渉が決裂して既に殺害されていたことをヨルダン政府(日本政府も)が未確認情報として知っていた、と考えれば日本人2名の映像公開、通告、処刑に至る情報の混乱と不可解な動向の意味が分る。
モアーズ・カサスベ中尉生存の証拠をヨルダンは求めていたと報道されていたが、殺害情報を知っていたヨルダン政府にとっては交渉過程を国民に開示することは出来なかった。殺害の確認情報がなければサジダ・リシャウィ死刑囚の刑を即時執行することも出来なかった。
後藤さんが訴えた通りサジダ・リシャウィ死刑囚が解放されていれば後藤さんの処刑はなく開放されていただろう。
だが中尉の死を知っていたヨルダン政府にとってサジダ・リシャウィ死刑囚の刑執行は自国民を宥める数少ない方法の一つである。
安倍の中東訪問、日本人人質映像公開、開放条件、処刑、ヨルダン国王訪米時にヨルダン中尉殺害映像、
すべてアメリカを中心とする有志連合の拡大と連合強化に寄与した憎悪の事件である。
有志連合の日本とヨルダンに対して、より一層の憎悪と戦争の決意を焚き付ける状況が投げ付けられたのである。