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軍事部門を抱えた会社は犯罪企業である。 自衛隊・米軍、軍事基地が必要だと洗脳されている国民が一気に減少している。Linkfree

安倍談話。卑しい利権屋安倍内閣の恥知らずな談話で子供たちが侮蔑を受ける宿命を負ってしまった。

恥知らずな2015夏の歴史改ざん安倍談話によって子供たちは世界中から侮蔑を受ける宿命を負ってしまった。 金のためなら歴史さえ平気で改竄してしまう極右カルト安倍内閣の薄汚れた利権屋としての本性がそのまま出た談話であった
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海を渡り侵略強盗殺人を犯した靖国英霊兵士の犯罪を、意味不明で姑息な文言で誤魔化した安倍談話に世界から恥知らずという非難が集中している。
小汚い利権のために歴史さえ捻じ曲げようとする極右カルト安倍内閣に非難が集中している。
安倍晋三首相が発表した戦後70年の談話(安倍談話)について、1995年に首相談話を出した村山富市元首相(91)は14日夜、地元の大分市内で記者会見し、自身の談話が「引き継がれた印象はない」との認識を示した。
金のためなら歴史も平気で捻じ曲げるような恥知らずな内閣がかってあっただろうか?

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8・15朝日新聞朝刊より引用
埼玉県三郷市の藤原重人さん(90)は14日夜、談話を発表する安倍首相をテレビで見つめた。
 19歳で徴兵された藤原さんは陸軍の2等兵として、中国・江西省に送られた。日中戦争で、日本は最大約100万人の兵力を中国に送り出した。藤原さんは、第27師団支那駐屯歩兵第3連隊の分隊約15人の一人。弾薬など40キロほどの荷物を背負うと、指示に従ってひたすら歩いた。
 軍の制圧下にある集落では、手持ちの塩を渡せば米や野菜と交換してもらえた。それが、数日たつと村に近づくだけで住民が逃げ出すようになった。
 着剣し、数人で民家に入る。かまどや寝台などを手分けして食糧を探す。初めは半分以上を残しておいたが、それも「良心があるうちだ」。手当たり次第持ち去るようになった。質素な家の外では、老人や子どもが「シーサン(先生)」と両手を合わせ、命乞いをする。ふるさとの山梨県の弟や妹の顔が思い浮かんだ。しかし「奪わなければ生きていけなかった」。
 人も奪った。畑や道ばたに丈夫そうな男性を見つけると、気づかれないように複数で取り囲んだ。暴れる相手を後ろ手に縛り上げ、数珠つなぎで引き連れた。「モモタロー」「ライオン」などと名をつけて日本兵1人に2人をあてがい、てんびん棒で弾薬などを運ばせる。「同じように、自分のおやじが突然連れ去られたら」。その気持ちを口にはしなかった。いま振り返れば、奴隷同然に扱ったと感じる。しかし当時、「天皇陛下の命令」は絶対服従。それが軍隊だった。
 戦後70年。果たして自分の行為は何だったのか。「しんりゃく……」と言ったきり、藤原さんは黙り込んだ。そして言った。「武力で、食べ物も財産も何もかも奪う。それが侵略だとしたら、日本がしたことはその通りではないでしょうか」
 毎夏、24時間の断食をしている。日本への引き揚げ途中でマラリアに倒れた際、連行した中国人に介抱された。「常軌を逸した戦場。命あることへの感謝。それを伝え続けなければいけない」。9月、都内の集会で体験を語る。
安倍晋三の実兄・安倍寛信は三菱商事の取締役である。)
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太平洋戦争では日本軍は捕虜を実に残酷に扱った。
日本軍は捕虜を実に残虐に扱いました。中国では捕虜を万単位で殺したし、バターン死の行進シンガポール華僑虐殺・ビルマラゴン村虐殺・興亜丸カビエン事件・パラワン島捕虜虐殺・サンダカン捕虜虐殺・父島人肉食事件・ベトナムユエ虐殺・グアム島捕虜虐殺事件・泰緬鉄道強制労働・石垣島捕虜虐殺・731部隊の人体実験・B29搭乗員生体解剖、、、色々あります。ドイツ軍の捕虜になったアメリカ兵は約9万3千人で死亡は1.1%。日本軍の捕虜になった米兵は約3万6千人。38.2%が殺されています。

フィリピン・パラワン島日本陸軍捕虜収容所では昭和19年12月14日、米軍捕虜を防空壕へ押し込んでガソリンを注いで火を付け、140人を虐殺。10人が横穴から逃げて戦後に発覚。ボルネオ島サンダカンの捕虜収容所には2500人ほどのイギリス・オーストラリア兵が収容されていたが生き残ったのは6人。映画「戦場にかける橋」(クワイ河マーチ)で有名になった泰緬軍事鉄道建設工事では6万人ほどのイギリス兵やオーストラリア兵捕虜が強制労働をやらされ、日本兵の残虐行為と栄養失調で1万人以上が死にました。生き残ったある英軍兵士は「人間がここまで残酷になれる事が分かっただけでもいい経験だった」とイギリス人独特の皮肉で書いています。

また、ある捕虜収容所では、食糧不足の為に日本兵による人肉食がありました。捕虜を殺してその肉を食った。南方ですが冷蔵庫なんかない。暑くて肉はすぐ腐ってしまう。日本兵は生きている捕虜の肉を切り取り、殺さないでそのまま生かしておく。そして翌日またその捕虜から肉を切り取る。死ぬまでそれを続けたそうです。
(yahoo知恵)
「父島人肉事件」では小笠原諸島の父島の日本軍守備隊の司令官・立花中将が捕虜にしていた米軍パイロットたちを殺し、その肉を食った。これは食糧不足だったからではなく、敵の肉を食うと勇気がつく、と。肝と肉を醤油焼きにして部下と食べ、「これはうまい、お代わりをくれ」と言ったそうです。戦後戦犯として死刑。