平和記念式典には1994年以降、歴代の首相が出席してあいさつしているが、国是とされる「非核三原則」を盛り込まなかったのは初めてである。
今年安倍は「要らんことを喋るな」と命じられていたからだ。
安倍のインチキ成長戦略の主砲は、原発の売り込みである。
安倍の実兄は、三菱商事の社長になれるだろうな。
三菱と安倍の祖父(岸信介)の関係は濃厚である。
(昭和通商は、航空機・装甲車輌などを製造していた三菱重工を傘下に持つ三菱商事が新たに加入して、1939年(昭和14年)に陸軍省軍事課長の岩畔豪雄大佐の主導で設立された。設立目的は「兵器工業の維持と健全な発達、陸軍所要の海外軍需資源の一部輸入、国産兵器の積極的海外輸出と、陸軍所要の外国製兵器の輸入など」とされ、表向きは民間の商社として活動を開始したが朝鮮・満洲・蒙疆で生産された阿片を中国市場に持ち込み、里見甫らの宏済善堂「阿片の分配のための阿片問屋。里見はその副理事長」を通じて換金し、戦争遂行に必要な戦略物資の調達するなど、様々な活動を行っていた。里見甫と岸信介の利権繋がりが戦後の自民党岸信介安保体制を築いた。千葉県市川市国府台の總寧寺にある里見の墓の墓碑銘「里見家之墓」は、岸信介元首相の揮毫による。)
きょう広島で安倍が非核三原則を口が裂けても言わないのは戦争屋の利権が3代に渡って続いているからだ。
2012-2月24日の閣議決定答弁書で、「西部航空方面隊司令官」「呉地方総監」「陸上幕僚長」「航空集団司令官」「第一師団長」などそうそうたる自衛隊幹部が三菱(軍事・原子力)財閥の「顧問」として天下りしていることが分かった。
ひとりアタマ数百億円の国民の血税(防衛予算)を軍事財閥に持参して天下る、信じられないような腐敗構造なのである。
国民や貧乏若者をコケにした他では有り得ない腐敗の極みの税金泥棒構造なのだ。
ひとりアタマ数百億円の国民の血税(防衛予算)を軍事財閥に持参して天下る、信じられないような腐敗構造なのである。
国民や貧乏若者をコケにした他では有り得ない腐敗の極みの税金泥棒構造なのだ。
1964、戦後解体されていた三菱日本重工、新三菱重工、三菱造船が合併、三菱重工の復活。
合併した三菱重工三社の代表者は、プルトニウム・ミサイルの製造支配力を確保する為、それぞれが次のような分野を担当した。
三菱日本重工の社長だった河野文彦(こうの ふみひこ)は、日本兵器工業会の会長。
新三菱重工の副社長だった荘田泰蔵(しょうだ たいぞう)は、誘導ミサイル懇談会の副会長。
その息子の荘田泰哉(しょうだ やすや)は、動燃の理事(プルトニウムを利用する高速増殖炉の建設推進を担当)。
三菱造船社長だった丹羽周夫(にわ かねお)は、日本原子力研究所の理事長に就任した
また、3社が解体される迄の三菱重工社長で、解体時に代表清算人を務めた岡野保次郎は、誘導ミサイル懇談会とロケット開発協議会の会長の他、日本原子力産業会議の理事、原子力委員会参与、日本原子力普及センター理事長、経団連防衛生産委員会の委員長、日本原子力船開発事業団顧問、となった。
彼ら4人の役職業務は、国防とミサイルとプルトニウムであった。
合併した三菱重工三社の代表者は、プルトニウム・ミサイルの製造支配力を確保する為、それぞれが次のような分野を担当した。
三菱日本重工の社長だった河野文彦(こうの ふみひこ)は、日本兵器工業会の会長。
新三菱重工の副社長だった荘田泰蔵(しょうだ たいぞう)は、誘導ミサイル懇談会の副会長。
その息子の荘田泰哉(しょうだ やすや)は、動燃の理事(プルトニウムを利用する高速増殖炉の建設推進を担当)。
三菱造船社長だった丹羽周夫(にわ かねお)は、日本原子力研究所の理事長に就任した
また、3社が解体される迄の三菱重工社長で、解体時に代表清算人を務めた岡野保次郎は、誘導ミサイル懇談会とロケット開発協議会の会長の他、日本原子力産業会議の理事、原子力委員会参与、日本原子力普及センター理事長、経団連防衛生産委員会の委員長、日本原子力船開発事業団顧問、となった。
彼ら4人の役職業務は、国防とミサイルとプルトニウムであった。
この肩書と業務内容を突き合わせ、彼らが重工3社の重鎮として、合併後の相談役として共に会社を育てた経緯を考えてみれば分かる。
現在の青森県・六ヶ所村で、この三菱重工が主幹事会社となって建設してきた核燃料サイクル基地(再処理工場)が、プルトニウム兵器の製造の為であることを疑わない人間は、何処にもいないであろう。しかもそのプルトニウム「平和」利用の口実として必要不可欠な敦賀の高速増殖炉“もんじゅ”もまた、同じ三菱重工が主幹製造会社であった。
この4人の進めた極秘軍事ビジネスを引き継ぐ後継者が、97年の行政改革委員長・飯田庸太郎(三菱重工社長・会長)の仕事だったのである。
河野文彦、日本兵器工業会会長。
荘田泰造、誘導ミサイル懇談会副会長。
荘田泰哉、動燃理事。
丹羽周夫、元三菱造船社長。
1964、日本原子力研究所理事長に就任。
岡野保次郎の履歴。誘導ミサイル懇談会会長、ロケット開発協議会会長、日本原子力産業会議理事、原子力委員会参与、日本原子力普及センター理事長、経団連防衛生産委員会委員長、日本原子力船開発事業団顧問。
晩年は原子力船「むつ」の開発に執着。
四人の役割分担、国防、ミサイル、プルトニウム。
六ケ所村の核燃料再処理基地、その主幹事会社は三菱重工。軍事目的のプルトニウム抽出である事は明らか。
もんじゅの主幹製造会社も三菱重工。
この四人の後継者が飯田庸太郎・三菱重工会長。
『私物国家―日本の黒幕の系図』 広瀬隆著
第6章 日本最大の官僚組織・電力会社と軍需工場・三菱重工より一部引用
現在の青森県・六ヶ所村で、この三菱重工が主幹事会社となって建設してきた核燃料サイクル基地(再処理工場)が、プルトニウム兵器の製造の為であることを疑わない人間は、何処にもいないであろう。しかもそのプルトニウム「平和」利用の口実として必要不可欠な敦賀の高速増殖炉“もんじゅ”もまた、同じ三菱重工が主幹製造会社であった。
この4人の進めた極秘軍事ビジネスを引き継ぐ後継者が、97年の行政改革委員長・飯田庸太郎(三菱重工社長・会長)の仕事だったのである。
河野文彦、日本兵器工業会会長。
荘田泰造、誘導ミサイル懇談会副会長。
荘田泰哉、動燃理事。
丹羽周夫、元三菱造船社長。
1964、日本原子力研究所理事長に就任。
岡野保次郎の履歴。誘導ミサイル懇談会会長、ロケット開発協議会会長、日本原子力産業会議理事、原子力委員会参与、日本原子力普及センター理事長、経団連防衛生産委員会委員長、日本原子力船開発事業団顧問。
晩年は原子力船「むつ」の開発に執着。
四人の役割分担、国防、ミサイル、プルトニウム。
六ケ所村の核燃料再処理基地、その主幹事会社は三菱重工。軍事目的のプルトニウム抽出である事は明らか。
もんじゅの主幹製造会社も三菱重工。
この四人の後継者が飯田庸太郎・三菱重工会長。
『私物国家―日本の黒幕の系図』 広瀬隆著
第6章 日本最大の官僚組織・電力会社と軍需工場・三菱重工より一部引用