PONGISAYOKUって何ですか?

軍事部門を抱えた会社は犯罪企業である。 自衛隊・米軍、軍事基地が必要だと洗脳されている国民が一気に減少している。Linkfree

2015年日本軍需経済は1936年2・26事件の夢を見るか?

1936年2月26日未明に起こされた日本軍部による2・26事件は言うまでもないが、財界から35万円(当時の1万円は今の1億円以上)の金を貰って陸軍皇道派(近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊)のチンピラ将校たちが起こしたものである。
直接35万円の金を出したのは鉱山・ゴム園事業をマレーシアで行っていた石原産業の社長石原廣一郎である。
(5.15事件には9万円の金が神武会という財界金集めの秘密結社から出されている。神武会を作ったのは大川周明、石原廣一郎、徳川義親らである。徳川義親は3月事件にも財界から集めた50万円を出している。)
日本は「無制限に拡大する軍拡泥棒皇軍」のために農村部などの経済的惨状は目を覆うものがあった。国民の困窮と疲弊をよそに日本皇軍は、跳ね上がりの「チンピラ将校による2・26強盗殺人事件」を利用し無制限の暴力装置を奮(ふる)って徹底的な利権拡大に突っ走り始めたのである。軍事財閥と軍部の利権拡張のために巧妙に踊らされたチンピラ反乱将校たちは(下っ端の兵士は全く知らなかったが)多額の金にまみれていたのだ。
2015年の今も自衛隊の実質軍事費は毎月毎月5000億円のデタラメであるが、1930年代もメッチャクチャの泥棒構造であった。
1931年(昭和6年)は4億6千万円で歳出の31%、1936(昭和11年)が10億9千万円で48%弱、そして1937年は実に32億8千万円で69%、まさに軍部による国民の資産強奪構造により農村などでは身売りが常態化するような惨状であった。
当時も平成の今も国民の生活を破壊していくのは軍事予算、軍需経済であることに変わりはない。
1930年代に連続した軍部のクーデターは全て背後に軍事財閥が控える大正デモクラシー潰し、つまり国民主体の平和人権社会潰しであった。
大正デモクラシーという国民資産を皇軍と財界が「潰す」ことで利権を一気に拡大して行ったのだ。(2009年総選挙民主党308議席圧勝後の鳩山由紀夫・菅直人・小沢一郎潰しと酷似
この決起ゴロツキ将校どもが「国を憂えて」とか「国民の窮状を見兼ねて」とか史実と間逆のことを言う者がいるがバカも休み休みに言えといいたい。
例えば1931年昭和6年の10月事件。
3月事件にも関与した陸軍急進派の桜会が中心となり大川周明北一輝一派によって計画された八百長クーデター計画であったが金を出したのは藤田勇である。後に中国戦線で麻薬取引で巨利を得たゴロツキの戦争ブローカーである。
さっきテレビを観ていたら極右組織日本会議国会議員懇談会(幹事長)極右カルト神道政治連盟国会議員懇談会の極右下村博文文部科学大臣暴力団山口組弘道会系幹部と深い関係にあって、大阪府警からも「暴力団と関係を有している企業」と認定されている土木建築会社から献金を受けていたと報道していた。安倍極右カルト内閣の文部科学大臣山口組弘道会系幹部と金で繋がっているのである。今も昔1930年代も腐った構造は何一つ変わっていないのだ。)
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2月26日未明斉藤実内大臣
自宅寝室から出てきたところを坂井中尉、高橋少尉、安田少尉、林伍長が拳銃、機関銃で射殺した。47ケ所に銃弾を撃ちこみ、さらに数十ケ所斬り刻んだ。遺体はもはや流れる血もなかったという。彼らは5時15分引き上げた。
高橋是清大蔵大臣。
家人に高橋蔵相の部屋に案内させる。2階10畳の部屋にまだ就寝中の蔵相を発見。「天誅」と叫びながら布団をまくりあげ、拳銃で射殺。さらに軍刀で斬りつけた。5時15分一同引き上げ、首相官邸に。

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教育総監渡辺錠太郎大将邸を襲撃したのは、斎藤實を襲撃して別れた一隊で、指揮者は、高橋太郎、安田優の両名と、下士官以下兵三十名であった。携行した兵器は軽機関銃四、小銃約十、拳銃若干であった。
渡辺錠太郎大将の長女政子さん当時33歳の証言
 母は両手をひろげ、兵たちが父の寝室へ行くことをさえぎったのでございます。ところが、そのさえぎりもきかず、縁側づたいに父の寝室のほうへ回り、そこに機関銃を据えて、うったのでした。父の体に当ったタマの数は四十三発。肉片が天じょうにまでとびちり、それはむごい仕打ちでございました。右フクラハギの肉は、機関銃の夕マでとぱされてなくなり、顔から肩にかけてはとどめのカタナ傷が二つ。後頭部にはやはりとどめのピストルの一発がうちこまれ、穴があいておりました。
渡辺錠太郎大将のニ女和子さん(当時9歳)の記憶
「お父様が、お父様が、と叫びながら、私は部屋の中を歩きまわっていました。私は泣いていたと思います。天井まで、父の肉が飛んでいたのや、雪が深かったのや、雪の中に点々と赤い血が落ちていたのを憶えています」直接手を下さないで、彼等を繰っていた人が憎いと思います。ただ、父を殺した人達について云えば、男なら男らしく勝負をなさったらどうか。父の脚を撃ってまず動けなくし、それから磯関銃というのは、あまりに残忍です。父を殺すのに、少しは礼儀というものを知っていてほしかったと思います」
渡辺錠太郎を惨殺した日本軍部の軽機関銃は渡辺が具申して採用させたものであった。