「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」
これが天皇と呼ばれた男のことばか?
昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと故元侍従小林忍の日記に記されていた。
小林の日記はこの男の余りの無責任振りを改めて証明している。
改めて、無惨な死を死んで行った国民は救われない。
小説『曇り日』堀田善衞(1955年11月)
ガアガアザアザア雑音が入って、よく聞きとれなかった。
が、負けたとも降伏したとも、ひとことも言わないのを、おれは不審に思った。
時局ヲ収拾セムト欲シ……共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ、それはそうでもあるだろう。が、そのとき生まれてはじめて、おれは、なんだか図々しいような、ひどいことばをつかえば、盗人たけだけしいようなものだな、と思った。
おれには元来、自分のことは棚にあげて、他人〔ひと〕のことばかり気にするという、面白からぬ癖がある。
けれども、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス、それっきりか、それっきりだった。・・・何という奴だ、何という挨拶だ、お前のいうことはそれっきりか、嫌味な二重否定で、それで事は済むと思っているのか。そのほかは、……おれが、おれが、おれの忠良なる臣民が、おれだけが可愛い、というだけではないか。何という野郎だ、お前は、とおれが思った。・・・・」
『曇り日』より。
『曇り日』より。
野上弥生子の日記
昭和37年(1962年)7月4日
・・・・十一時過ぎの「私の本棚」に……一、二日まえから入江氏 の「天皇様の還暦」が読まれている。昨日から聞いて見る と戦後の天皇の御文庫内生活はだいぶ気の毒なものであっ たらしい。今日は彼のヒュ-マニテイ-が書かれている。 しかし国民にすまないためにあえて不便不快な生活を忍んだの、学術的な研究にもムダな小魚を損はなかったの、花 一つにもそんな心づかいを忘れぬ生活をしているといふなら、戦争であれだけの犠牲を払はした国民にすまない意志表示を何故しないか。そんなセンスを欠いていてなんの人道主義ぞやといひ度くなる。
昭和37年(1962年)7月4日
・・・・十一時過ぎの「私の本棚」に……一、二日まえから入江氏 の「天皇様の還暦」が読まれている。昨日から聞いて見る と戦後の天皇の御文庫内生活はだいぶ気の毒なものであっ たらしい。今日は彼のヒュ-マニテイ-が書かれている。 しかし国民にすまないためにあえて不便不快な生活を忍んだの、学術的な研究にもムダな小魚を損はなかったの、花 一つにもそんな心づかいを忘れぬ生活をしているといふなら、戦争であれだけの犠牲を払はした国民にすまない意志表示を何故しないか。そんなセンスを欠いていてなんの人道主義ぞやといひ度くなる。