イラクの日報隠蔽犯罪で国民を欺き続けている自衛隊の中枢統合幕僚監部指揮通信システム部の幹部で30代三等空佐が国会議事堂の目の前、多くの警官が警戒している場で国民の信頼がもっとも厚い小西洋之参院議員を「お前は国民の敵だ」などと罵倒脅迫した恐るべき犯罪事件が起きた。
警戒していた警察を完全に無視して罵倒を繰り返している。
警察は身柄確保も逮捕もしていない。
国民に対する恐るべき脅迫犯罪である。
軍隊は先ず自国民を惨殺する。
「血の海の中で父は死にました。凄惨な死でございました」
1936年2月26日の午前6時前、9歳だった渡辺和子さんは、和室の布団で父と寝ているとき、激しい怒号を聞いた。その直前に斎藤実・内大臣を殺害した青年将校と部下の兵士の一団約30人は、東京・荻窪の自宅前にトラックで乗り付け、門を開けようとした。
“兵士たちの怒号を聞きまして、まだ寝ておりました父が、すぐ起きまして、自分の左手にあります小さな襖を開けて、拳銃を取り出しました。覚悟していたのだろうと思います。そして私に「和子はお母様のところへ行きなさい」、これが最後の、私が父から聞いた言葉でございました。逃がしてくれたわけでございます。
私は寝ぼけ眼で、寝室と茶の間の間のふすまを開けて、台所に母の姿があるかと思って探しましたところ、母は兵士たちを中に入れない、防ぐために必死でして、私の方など見向きもしませんでした。仕方なしに父の所にまた戻ってまいりました。
その頃には流れ弾が寝間に打ち込まれておりまして、よく当たらなかったと思うんですけれども、私はそれをかいくぐってまいりましたところ、掻巻(かいまき、綿の入った袖のある寝具)を自分の身体に巻き付けて、ピストルを構えておりました。私が戻ってきたのを見て、非常に困った顔をしまして、目で、座卓の後ろに入るように示してくれました。
私もそこに隠れました。ふすまが開けられて、軽機関銃の銃身が差し込まれて、父の足を狙って撃ち始めた。私の父は陸軍でも射撃の名手だったようでございます。3発ほど撃ったと言われておりますけども、いずれにしても軽機関銃にはかないません。足を集中して撃ったらしく、片足はほとんど骨ばかりでございました。
茶の間の方から青年将校2人(高橋太郎少尉と安田優少尉)と兵士が数人入ってきて、父を射撃いたしまして、最期に銃剣で切りつけて、とどめを刺して帰っていきました。ずっと座卓の影から見ておりまして、引き上げていった後、出てまいりまして、「お父様」って呼んだんですけど、もちろん事切れておりました。あたり一面、父の肉片、骨片が飛び散っておりましたし、寝間の柱にも銃弾の跡が残っておりました。
その後、母がすぐに寝間に参りまして「和子は向こうに行きなさい」と言われてその場を離れました。午後になりまして、包帯でぐるぐる巻きになった父が布団の上に横たわっておりました。額に触ったときにとても冷たかったのを、今でも感触を覚えております。亡くなった姉によりますと、43発、弾を父の身体の中に撃ち込まれていたということでございます。
雪の上を点々と血が残っておりました。寝間の前は庭でして、雪が本当に真っ白に積もっておりましたけども、兵士が帰っていくときの返り血なのか、足か何かを狙って撃ったときの血なのか分かりませんけども、その血の赤さは今でも焼き付いております。
その席で佐藤は、長広舌を批判した先輩の宮脇長吉議員に「黙れ、長吉。」と怒鳴りつけた。
すべて恥知らずな利権塗れのゴロツキであった。
大蔵省から参加していた賀屋興宣が、そんな多額の軍備拡張に財政は耐えられないと言うと、
ゴロツキ少将山本五十六は「黙れ賀屋、それ以上言うと鉄拳が飛ぶぞ!」と怒鳴りつけ脅迫した。青くなった賀屋は黙ってしまった。
山本五十六という艦隊派のゴロツキは利権塗れの開戦派に利用され連合艦隊司令官に祀り上げられ軍事財閥の犬コロとして海軍の天皇と小バカにされながら何の役にも立たないインチキ空母に貧困に喘ぐ国民の血税を流し込んで行った。
「おれも軍人だからね、真珠湾攻撃はおれの夢だから。」
山本五十六のような人間のクズがあの悲惨な戦争を主導し300万の国民が惨殺され国土は破壊された。
山本五十六は軍事財閥の接待で通う新橋などの芸者を次々に愛人にし、参謀からは「不道徳なギャンブラー」と呼ばれていた。
因みに、
軍人という人間のクズを、クズだからこそ賛美したインチキ映画「聨合艦隊司令官山本五十六」という映画があった、その中で天皇がばら撒いた「恩賜の銀時計」を原田美枝子扮する妻に与える場面があるが、大ウソである、事実は芸者の愛人河合千代子に与えたのである。
海軍がどれだけ腐り切った詐欺集団であったかは、海軍によって軍事財閥がどれほど途方もない額の国民の血税を盗み取ったかで分るだろう。
現在の自衛隊詐欺インチキ戦艦群をみれば分る筈だ。