PONGISAYOKUって何ですか?

軍事部門を抱えた会社は犯罪企業である。 自衛隊・米軍、軍事基地が必要だと洗脳されている国民が一気に減少している。Linkfree

作家、三島由紀夫(1925~70年)が自決する9カ月前の録音テープが見付かった。

三島由紀夫(1925~70年)が新宿区の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地での有名な割腹心中事件の9カ月前の昭和45年2月に死生観や憲法観などを語った未発表の録音テープの一部内容が12日、TBS系報道番組「Nスタ」で放送された。
テープは東京・赤坂のTBS社内で見つかり、これまで 「放送禁止」の扱いでアーカイブ部門の責任者が歴代、保管してきたという。 
 TBSによると、テープには、三島が英国の翻訳家、ジョン・ベスター氏と日本語で
対談した音声が約1時間20分にわたって録音されていた。
三島は「豊饒の海」第4部「天人五衰」を書き終えた直後の11月25日、東京都で割腹自殺した。
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三島由紀夫心中クルクルパア説というのがある。
 1970年昭和45年11月14日午後、
三島由紀夫、森田必勝、小川正洋、小賀正義、古賀浩靖の5人は六本木のサウナ・ミスティで会合。
決行の11月25日に檄文と5人で撮影した記念写真をNHKとサンデー毎日の記者に渡す事を話し合う。
TVと週刊誌を祭りの宣伝に利用しようという打ち合わせである。
翌15日、週刊読売の特集に対する電話インタビューで死に方について、「文士でなく、武士のいさぎよい死を!」と答えている。
そしてこの後「三島事件クルクルパア説」を決定付ける三島由紀夫の行動が明らかになっている。
この後三島は横浜の有名な刺青師彫錦こと大和田光明氏に、牡丹と唐獅子を彫ってもらえないかと電話したのである。
ズッコケである。 
天皇主権、憲法改正をいかに檄文に盛り込み、いかにこの騒動の出し物をTVと週刊誌を使ってチラつかせるかというセコい打ち合わせをした翌日、
ヤクザ映画見過ぎの影響モロ出しの行動である。 
背中に中華丼もどきの柄を彫って自衛隊に斬り込む高倉健になろうとしたのである。
三島の生涯を詳細に追った『三島由紀夫の生涯』の中で安藤武氏はこの刺青依頼電話を
東映映画の見過ぎか三文役者の行動」と断じ「仮に刺青が完成していたら森田必勝にはどう詫びたら申し開きがつくのか」 「自決後の誹謗中傷は想像を絶したであろう。」と言っている。 
完成しなかったのは大和田氏に1週間や10日で完全な刺青は出来ない、と断られたからだ。
ただのオバカである。 
三島事件の檄文が「幼稚なマザコン男の論理」丸出しだった理由は安藤氏が嘆くように刺青が完成していてもいなくても充分にわかろうというものである。
三島のズッコケ心中を未だに「衝撃だった」と大真面目に語る男たちがいる。
右翼だけではなく左翼にもいる。 
三島事件
衝撃は、この出来そこないのコントを魂消(たま)げたという幼稚な男たちの存在の方である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これが三島事件クルクルパア説と言われるものである。
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ヘンリー・スコット=ストークスの著書が三島事件の裏の事実を明らかにしている。
、、、三島の死後、私(=Henry Scott Stokes)は独力で全容を発見した。
三島由紀夫は政界上層部に二人の強力な同調者を持っていたことが分かった。一人は、64年から72年までの日本の首相の座にいた佐藤栄作、もう一人は、 三島が死んだ当時の防衛庁長官で、現首相の中曽根康弘である。佐藤は、日本の右派財界から募った資金で楯の会の活動を支援し、中曽根は 富士山麓で三島が私兵を訓練するのに便宜をはかった
(今まで、日本の新聞は、 中曽根、三島、佐藤コネクションについて全く報道していない。このコネクションの 存在は、日本のジャーナリストの間でも広く知られた事実であるのに)。
「三島が日本の右翼とつながっていた真相はおそらく十数年経っても明らかにされないであろう。」
その目的は
「二人の首相をして三島を支持する気にさせたものは、公然と右翼の理想と天皇崇拝という昔からの スローガンを擁護した世代の中で、三島はたった一人のインテリであったことを私は疑わない。」さらに佐藤と中曽根が心から三島を支援する気になった理由は「憲法改正であった。
特に第9条の撤廃と米国製でない日本製の再軍備」のためであった。
.『三島由紀夫 死と真実』『LOST SAMURAI』 ヘンリー・スコット=ストークス(著), 徳岡 孝夫(翻訳)      
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周知のとおり、
ザコン右翼を操って隠然たる権力を作り上げた佐藤栄作中曽根康弘
日本国民を、「命も財産も黙って差し出す奴隷」としかみていない男だ。
楯の会三島由紀夫に唯一人、最後まで密着した取材のもとで書き上げたHenry Scott Stokesの説を日本の番犬ジャーナリズムが追跡することは無い。
躁鬱病にかかってハジけた中年の作家が薄汚い政治屋にカモにされた構図が浮上することはありえないだろう。
それが日本という国なのだ。
自衛隊で訓練を受けていた三島由紀夫の「檄文」の中で「4年待った。」「1年は熱烈に待った。」という意味は新聞記事で自衛隊調査学校の元副校長で元陸将補山本舜勝の言う通りクーデター計画を仄めかされた挙句の暴走である。
世間知らずであった三島はダマされカモにされて待ち続けたのである。
軍事利権を拡大し、それを握れば日本のほぼ総ての利権構造を掌握できることは戦前に証明済みである。憲法改悪がその重要な1歩である右翼にとって三島由紀夫は利用するのに適任であった。


楯の會隊長 三島由紀夫
、、、
われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冐涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。  日本を日本の眞姿に戻して、そこで死ぬのだ。