ウクライナ戦は1990年代にアメリカが始めた。その幕を上げたマデリーン・オルブライトが3月23日に癌で死亡した。
ビル・クリントンが大統領になるとオルブライトは国連大使に就任、1997年には国務長官になった。その前年、経済制裁で死に至らしめられたイラクの子ども約50万人について意見を求められ、アメリカが目指す目的のためには仕方がないとオルブライトは言い放った。
1998年4月にアメリカ上院はNATO拡大を承認、その年の秋にオルブライトはユーゴスラビア空爆を支持すると表明、1999年3月にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃した。その際、アメリカ/NATO軍はスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅を破壊しただけでなく、中国大使館も爆撃している。
バラク・オバマ政権は2010年に「アラブの春」で目障りな体制を潰し始め、11年春にはリビアとシリアに手を付ける。その翌年の5月にシカゴでNATOのサミット会議が開かれた。
それと並行する形で人権擁護を掲げるアムネスティ・インターナショナルは「アフガン女性の権利に関する陰のサミット」を開催。その際、街頭に張られたアムネスティのポスターには、「NATO:前進し続けろ」と書かれていた。