PONGISAYOKUって何ですか?

軍事部門を抱えた会社は犯罪企業である。 自衛隊・米軍、軍事基地が必要だと洗脳されている国民が一気に減少している。Linkfree

震災で資本力が疲弊した宮城県を狙って、一気にTPP体制の確立を目指す新自由主義の強盗施策

震災で資本力が疲弊した宮城県を狙って、一気にTPP体制の確立を目指す新自由主義の強盗施策が強行されようとしている。

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大震災を利用して社会の乗っ取りが行われる。

先兵は常に軍部である、国民に沈黙を強制する組織はそれだけだからだ。
軍部を引き連れた一握りの腐敗・独占体
しかし
我われ国民が決して敗れてはならない。
1970年代初頭、シカゴ大学の一角でCIAから送金される札束を舐めながら
ミルトン・フリードマンシカゴ学派の残酷な詐欺師どもが血塗れの夢を紡いだ。
美しい宮城の地に彼らの夢を開花させてはならない。

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宮城県「県復興会議」メンバー
同会議の「震災復興プロジェクトリーダー」は山田沢明・野村総研顧問
議長は小宮山宏三菱総研理事長(元東京大学学長)、
副議長には寺島実郎日本総研理事長
議員には藻谷浩介・日本政策投資銀行参事など
12人の委員のうち宮城県在住の人間がわずか2人という異様。

「株式会社野村総合研究所宮城県の震災復興計画の策定を全面的に支援することで宮城県合意しました

 野村総研は4月14日にこう発表していました。

 事務局原案について意見を出す県の「復興会議」は、野村総研顧問や三菱総合研究所理事長らが委員として顔をそろえ、「委員12人のうち県内在住者はわずか2人」(河北新報18日付)。委員19人全員が県内在住者である岩手県の「津波復興委員会」と著しい対比をなしています。第2回「復興会議」は、「委員の大半が首都圏在住のため…元自衛隊村井知事らが上京」(同)し、都内で開催するありさまです。

 元自衛隊・村井知事は4月25日の記者会見で、会議の委員選定について問われ、「あえて地元の方はほとんど入っていただかないことにした」と表明。その理由として「地球規模で物事を考えているような方に入っていただいて、大所高所から見ていただきたいと考えた」などと語っていました。
2011年5月29日

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県民不在の宮城復興計画
「水産特区」「農地集約化」財界の意向
民間企業参入、庶民増税に執念


 財界系シンクタンク宮城県が一体で進める、県民不在の復興計画――。その中身を具体的に見てみます。 

 県の「震災復興基本方針(素案)」(4月11日発表)の基本理念は「単なる『復旧』ではなく『再構築』」をうたいます。

 一方、県の復興計画策定を全面支援する野村総研はこれまで11回にわたる震災復興に関する独自の「提言」を発表。震災後間もない3月30日の第1回「提言」で、「単純に復元するだけでなく、新しい発想に基づく都市計画が必要である」としました。

 野村総研コーポレートコミュニケーション部担当者は、宮城県の復興計画策定にあたってのアドバイスは、これら提言と「基本的な方向性が異なることはありえない」と話します。

 これまで明らかになった具体的方向性を見ても、両者の符合ぶりははっきりしています。

農業復興
 農業復興について、野村総研は「二種兼業農家の農地の買い上げを通じた農業法人等への農地の集約化や専業農家の法人化支援」(9回提言、4月22日)を指向。一方、県も「法人化や共同化による経営体の強化」(方針素案)を提唱します。

 政府の「東日本大震災復興構想会議」の委員も務める村井嘉浩知事は「斬新なアグリビジネスの展開(民間投資による活性化)」(4月23日、同会議提出資料)をうたっています。

 元自衛隊村井知事は政府の復興構想会議(4月23日)で、広域的・一体的な復興を進めるための国、被災自治体で構成する「大震災復興広域機構」の設立を提言。さらに、「全国各地いろんなところでいろんな時期に災害があり、ある程度恒久的な税をこの際できれば県民が保険をかけるという意味で間接税、消費税のようなものでしっかりかけるべきではないか」と庶民増税の必要性も訴えました。

 文字通り、財界の意向を震災復興に反映させるための“急先鋒(せんぽう)”の役割を果たしています。

 いまなお、県内約400カ所、2万8千人近くが厳しい避難生活を送っているなかで、財界系シンクタンク宮城県が一体となってつくる復興計画。震災を奇貨に、財界が執念を燃やす「構造改革」の押し付けが、いま目の前で始まっているといえます。
2011年5月29日(日)

 

自衛隊村井嘉浩宮城県知事の断面
大阪府豊中市生まれ。1984年(昭 和59年)3月、防衛大学校本科(理工学専攻)を卒業し(第28期)、4月から陸上自衛隊幹部候補生学校に入校。同年9月、ヘリコプターパイロットとして東北方面航空隊(仙台市霞目駐屯地)に配属された。1991年(平成3年)から宮城地方連絡部募集課広報班長を務め、翌1992年(平成4年)に退官。退官時の階級は1等陸尉。陸上自衛隊を退官後、松下政経塾に入塾し、1995年(平成7年)に卒塾(13期生)。同年、宮城県議会議員選挙に宮城野選挙区から立候補し、初当選を果たした。以後3期連続当選。県議時代は自由民主党に所属し、自民党宮城県連幹事長を務めた。防衛大学校及び自衛官出身者では初の都道府県知事
宮城県への企業誘致を積極的に推進し、その結果、セントラル自動車(車両組み立て工場)、トヨタ自動車(エンジン工場)、パナソニックEVエナジー(車両用バッテリー工場)などの自動車関連企業や東京エレクトロン宮城県に進出した。
前知事の浅野史郎が行っていた金剛山歌劇団や東北朝鮮初中級学校への財政支援を知事就任後、早々に打ち切った。また浅野による宮城県警捜査報償費の予算執行停止措置についても、知事就任後ただちに解除した。

松下政経塾第13期生村井嘉浩1994年5月の「教育に市場原理を」と新自由主義発言

1973年9月11日、チリ経済を食い物にしてきた勢力はチリ国内の反アジェンデ勢力を煽動し、ピノチェト陸軍総司令官にクーデターを起こさせた。選挙で選ばれたアジェンデ大統領は殺害され、7000人とも3万人ともいわれる労働者・農民、学生などが連行、暴行、虐殺された。
その時、サンチアゴ市内の工科大学でライヴをしていたハラは軍に拘束され、そのまま学生や市民とともにクーデターの翌12日、チリ・スタジアムに連行されました。
捕らわれた人々を励まそうと、軍の命令を無視し歌ったため、ギターを壊され、それでも手拍子で歌ったため、弾けぬよう手を砕かれ、それでも歌い続けたため、ひどいリンチを受け虐殺された。

チリの9.11を語るとき、経済学者の宇沢弘文さんは繰り返し、次の挿話を紹介します。ミルトン・フリードマン市場原理主義が、最初にアメリカから輸出されたのが、チリである。CIAの巨額の資金をつぎ込んで軍部という虐殺者ピノチェットの軍事クーデターを支援し、アジェンデ大統領を虐殺。そして、新自由主義的な政策を強行した。このアジェンデ虐殺のニュースが入った時、フリードマンの流れをくんだシカゴ大学市場原理主義者たちは歓声を上げた、と。(宇沢弘文内橋克人対談『新しい経済学は可能か-新自由主義の正体』(「世界」09.4月号)

宇沢
市場原理主義的な政策が最初にアメリカから輸出されたのはチリです。シカゴ大学には中南米からの留学生が多く、そういう学生たちを積極的に支援して、サンチャゴの私立カトリック大学をベースにCIAが巨額の資金をつぎ込む。軍部という虐殺者ピノチェトのクーデターを資金的にも軍事的にもサポートする。1973年9月11日にアジェンデ大統領が虐殺された後、シカゴ大学市場原理主義の洗脳を受けた「シカゴ・ボーイズ」たちが中心になって、新自由主義的な政策を強行するわけです。銅山を例外として、国営企業はすべて民営化され、金融機関は原則としてアメリカの金融機関の管理下に置かれた。チリの企業は所有関係について外国人と内国人との区別をしてはいけない。労働組合は徹底的に弾圧してつぶす。その過程で、秘密警察を使って反対者たちを粛清する。シカゴ大学での私の学生や友人で、そのころ行方不明になった人が何人もいます。 (中略) じつは、私は、1973年の9月11日にシカゴにいました。アジェンデ虐殺のニュースが入ったとき、フリードマンの流れをくんだ市場原理主義者たちが歓声を上げたのです。私は以後一切シカゴ大学とは関係しないと決意した。
(引用元:『世界』2009年4月号 宇沢弘文内橋克人「新しい経済学は可能か」)

1973年、チリでCIAの支援による軍事クーデターが発生します。軍部という虐殺者アウグスト・ピノチェト将軍は、民主的に選出された左派大統領のアジェンデ大統領を含め30000人以上もの市民を虐殺し政権を奪取したのでした。
クーデター直後に戒厳令が敷かれ、ビクトル・ハラを初めとする人民連合系の市民が多数サンティアゴ・スタジアムに集められ、容赦なく虐殺された。
クーデター後一日で確認された遺体は2,700体に上った。
アウグスト・ピノチェト(1974年)。1974年3月に発表された国家再建方針により、ピノチェトは議会制民主主義の否定による軍事政権の長期化と、軍事政権による政治、教育、経済などチリのあらゆる部分の改変を打ち出した。特に教育面では、大学が軍人の統制下に置かれ、思想統制のためマルクス社会主義関連の書物や、パブロ・ネルーダフランツ・カフカマクシム・ゴーリキー、ジグムント・フロイトなどが焚書にかけられ、燃やされた

 軍部という虐殺者ピノチェト将軍によるチリの市場原理主義革命の実験を担ったのが、マネタリズムの教祖であるシカゴ大学ミルトン・フリードマン教授とその弟子たちでした。そして、フリードマンはチリでの実験の「成功」とされる怪しげな物語を踏み台にしてその権威を高め、ノーベル経済学賞も受賞し、ついにレーガン政権においてその教義を米国でも実施させることに成功したのです。以来、ウォール街IMF・米国財務省は、フリードマンの教義を強制的に世界に広め、今日における世界の惨状を生み出したわけです。
チリにおけるネオ・リベラリズムの「成功」の「物語」は、単なる「おとぎ話」であり、まったくのデマだというのです。

 

「シカゴ・ボーイズ」は気仙沼ビクトル・ハラの夢を見るか?
情勢は たちまち きびしくなった
 うじ虫どもは またぞろ うごめき出し・・・
             「姐虫はまたぞろうごめく」
人民のなかに立って 斧をふりかざせ
  ・・・
  かれらのつくろうとする
  血まみれの市場に向かって
         「きこりよ めざめよ」