PONGISAYOKUって何ですか?

軍事部門を抱えた会社は犯罪企業である。 自衛隊・米軍、軍事基地が必要だと洗脳されている国民が一気に減少している。Linkfree

愛知・国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」に軍事ファシズム極右暴力が攻撃。慰安婦、徴用工、日本国民は帝国皇軍の残虐な侵略犯罪を絶対許さない。韓国民が許しても日本国民は許さない。

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実兄が三菱軍事財閥の高級幹部である戦争利権屋安倍晋三一派が、日韓国民共闘の軍事構造撲滅一掃の巨大なうねりに恐怖して次から次に狂ったように子供染みた攻撃を仕掛けている。
対韓貿易禁輸騒動をでっち上げて世界中からアタマのイカれたバカ政府だと嘲笑されている
安倍極右一派が今度はあろうことか愛知国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」にまで攻撃を仕掛けて来た。
アタマの弱いイカレ極右を使っていつものように嫌がらせを仕掛けている、恥知らずな名古屋市長までが軍事利権欲しさに嫌がらせに乗っかる始末なのである。

日韓禁輸対立問題は、極右戦争利権屋安倍晋三一派が追い詰められてでっち上げたインチキ騒動である。朴前監獄大統領一派との軍事危機の捏造がばれそうになったからだ。

日本国内に従軍慰安婦少女像を設置拡大して行くことは日本国民の悲願である。
残虐なデタラメ組織帝国皇軍は侵略したアジア各地だけでなく日本国内でも殺人・強姦・強盗などを繰り返していた、真性の鬼畜集団であった。
天皇のため御国のためと海を渡って侵略強盗殺人を繰り返した帝国皇軍の残虐な実体。
朝鮮半島・中国だけでなくアジア各地で女性を拉致強姦を繰り返し、従軍慰安婦に投げ込み非道の限りを尽くした、挙句にはボロボロに敗退し自軍同士で仲間の人肉まで食い散らした。

日本軍はアジアだけではなく日本国内でも女性を拉致強姦し国民の資産を盗み悪逆非道を繰り返していた。関東軍参謀が詳細にその残虐を著書に述べている。
帝国皇軍は朝鮮では拉致強姦・慰安婦強制はしていない買春しただけだなどという寝言を御人好し民族の韓国人は信じるかもしれないが日本国民で信じる者などいない。

関東軍参謀・羅南要塞司令官田中隆吉著
 『敗因を衝く 軍閥専横の実相』(中公文庫)

ある高級司令部では政治経済の監督の責任を有する特務班の幹部全員が相語らって、巨額の公金を遊興の費に充てた。ある守備隊長は、富裕にして親日家たる華僑を惨殺して巨額の黄白(=金銀)を奪い、これを土中に陰蔽して他日の用に備えた。ある憲兵隊長は、愛する女に収賄せる多額の金額を与えて料亭を経営せしめ、その利益を貯えた。ある特務機関長は、関係せる女の父親に炭鉱採掘の権利を与えた。ある中隊長は戦地における部下の兵の携行する写真により、その妻が美貌の持主であることを知り、陸大受験のために内地に帰還するや、東京の宿にその兵よりの伝言ありと称してこの妻を誘い寄せ、忌わしき病気さえも感染させた。
  賄賂は公行した。虐殺と掠奪と暴行は枚挙にいとまがなかった。私の親友遠藤三郎中将は、漢口より兵務局の私宛に私信を送り来て、「高級将校にしてその心懸けを改めざる限り、戦争は絶対に解決の見込なし」と憤慨した。
 内地においても、大東亜戦争の中期以後における軍隊の暴状は、あたかも外地に似たものがあった。暴行もあった。収賄もあった。掠奪もあった。拳銃をもって威嚇し、人民の家屋を強奪したものもあった。ある大隊長は民がひと月五合の酒に舌鼓を打ちつつあるとき、常に四斗樽を備えて鯨飲日も足らなかった。国民が乳幼児と病人のため、牛乳の入手に多額の金を工面しつつあるとき、健康なるある連隊長は、配給所に対し1日五合の牛乳の配給を強制した。国軍の将校を養成すべきある学校の高級将校は、生徒に配給せられたる石鹸数百個をその家庭に運び、これを米麦と交換して一家の生活の資とした。
ある兵工廠の経理官は、地方のボスと結托し、軍需品の横流しを行い、巨額の金を私した。熊本では外出した兵が女学生を強姦した事件があった。しかもこれらはわずかにその二、三の例に過ぎぬ。
  海軍もまた、概ねこれと同工異曲であった。
否、陸軍よりもさらに腐敗していた。
呉の工廠では数年にわたって工廠長以下が出入り商人と結托し、多額の収賄を行った事件があった。ある地方では、海軍の兵が婦女子を強姦した。父兄が抗議すると、隊長は昂然として言った。「戦に負けて青目玉の子供を産むよりよいだろう」と。
さらに奇怪千万なるは食糧である。国民が一日二合三勺の主食の配給に、日に日に痩せ衰えつつあるとき、軍隊は戦時給養と称して一日六合の米麦を貪り食った。肉も魚も野菜も国民の配給量の数倍であった。国民が雀の涙ほどの配給に舌を鳴らしつつあるとき、ある師団の移転の際には、携行し得ざる二百石の清酒が残った。大都市の民が、椀の底が早えるような雑炊を主食の代りとして吸い込みつつあるとき、高級官衛に勤務しある軍人及び軍属は、外食券を用いずして二十五銭の弁当にその腹を膨らました。
 以上
関東軍参謀・羅南要塞司令官として終戦を迎えた田中隆吉氏(1893年生)の回想