沖縄で国民がどんな残虐な目に合わされて来たか?
戦後、中朝露への憎悪を煽り軍事挑発を延々と続けて、
辺野古と一直線に繋がるトカラの海には1944年(昭和19)8月22日米軍潜水艦「ボーフィン」に撃沈された学童疎開船対馬丸が沈んでいる。児童767名を含む1661名の疎開者が眠っているのだ。対馬丸沈没では護衛に当たっていた日本海軍第四海上護衛隊所属の駆逐艦「蓮」と砲艦「宇治」はサメ、三角波、空腹、渇水などに震えながら漂流していた児童や疎開者を見捨てて真っ先に撃沈現場から逃亡している。
辛うじて生存した人たちは今も真っ先に逃げた日本海軍を許していない。