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軍事部門を抱えた会社は犯罪企業である。 自衛隊・米軍、軍事基地が必要だと洗脳されている国民が一気に減少している。Linkfree

「生前退位」報道。2.・26事件の再現か?天皇(美智子・明仁夫妻)、神道極右カルト相手に最後の護憲闘争。

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美智子・明仁夫婦が、漸く日本会議極右カルト体制に喧嘩を売った。

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1936年(昭和11)2月26日未明、金と利権塗れのチンピラ極右カルト陸軍将校20人に率いられたヤンキー兵士1376人が首相官邸などを一斉に襲撃して斎藤実内大臣(私邸)・高橋是清蔵相(私邸)・渡邊錠太郎教育総監(私邸)の3人の重臣と警備の警官ら計9人を殺害、天皇側近の鈴木貫太郎侍従長(官邸)に重傷を負わせ、首相官邸陸軍省参謀本部・警視庁など永田町一帯を占領した。今も昔も、軍部と極右カルトが結び付けば例外なく殺人集団になるのである。
側近を惨殺されたヒロヒト氏(美智子さんの義父)がぶち切れたのは言うまでもない。
「朕ガ股肱(ココウ)ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕(ジョ)スベキモノアリヤ」

2013年、美智子さんが、79歳の誕生日を機に、宮内庁のインタビューに応じ、憲法改正論議に関して積極的な発言し「五日市憲法草案」を高く評価している。
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。
 主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。
 明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。
 当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。
 長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。

昭和10年(1935)明仁氏の父親であるヒロヒト氏が34歳のとき、憲法学者美濃部達吉が「国家の統治権天皇にあるのではなく、国家(法人)に属し、天皇は国家に従う“最高機関”にすぎない」と天皇機関説を唱え基地外軍部から総攻撃を受けて追放されようとしていたときこう言っていたのだ。
・「軍部に対して安心ができぬ」
・「君主主権はややもすれば専制に陥りやすい。(略)美濃部のことをかれこれ言うけれども、美濃部はけっして不忠な者ではないと自分は思う。今日、美濃部ほどの人が一体何人日本におるか。ああいう学者を葬ることはすこぶる惜しいもんだ」
・「機関説でいいではないか」
・「思想信念をもって科学を抑圧し去らんとする時は、世界の進歩は遅るるべし。進化論の如きも覆(おお)へさざるを得ざるが如き事となるべし。(略)思想と科学は並行して進めしむべきものと思う」(4月)と言っていた。
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憲法学者美濃部達吉は、東京都知事選挙自衛隊尖閣国有化利権の極右利権屋石原慎太郎を破って革新都政を打ち立てた美濃部亮吉の父親である。
いま美濃部亮吉革新都政を引き継ぎ、都民主権の反軍事経済を目指しているのが言うまでもなく鳥越俊太郎である。