NHK57作目の大河ドラマがなぜこんな男を取り上げたのかよく分らない。
逃げないで事実に沿った骨太のドラマにしてもらいたい、ってドーでもいいけどね観ないから。
「・・西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、 それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、 それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」
性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」
初回にはそういう史実の片鱗も観られなかったが、次回からはどうなるのかな?
西郷隆盛の死(1877年明治10年)から16年後明治26年に生まれた作家・島本久恵は明治という時代を明確にこう述べている。「明治は暗い時代であった。その前の慶応も元治も文久もみな暗かったが、夜が明けぬ前の暗さで、明治の暗さは夜が明けてからの暗さであった。」『明治の女性たち』島本久恵著
或いは、
島崎藤村の『夜明け前』第二部1873年(明治6年)のくだりに次のような一節がある。
「いろいろ思い出すことが纏(まと)まって彼の胸に帰って来た。
『御一新がこんなことで良いのか』
彼は独り言ってみた。、、、」
そうして主人公青山半蔵は新政府軍が西から木曾街道に進んできた1868年(明治元年)ころを回想する。
「いろいろ思い出すことが纏(まと)まって彼の胸に帰って来た。
『御一新がこんなことで良いのか』
彼は独り言ってみた。、、、」
そうして主人公青山半蔵は新政府軍が西から木曾街道に進んできた1868年(明治元年)ころを回想する。
新政府・東山道総督執事が出した地方人民に応援を求める何度もの布告、「諸国の実情を問い、万民の塗炭の苦しみを救うためのものだ、過去の苛政を届け出よ」などというお触れ。だが6年後の今、新政府なるものはことごとく『夜明け前』の主人公青山半蔵の期待を裏切って行く。
『御一新』されたのは人民に嵌められた首輪であった。
明治天皇制が用意した新しい首輪は徳川幕府よりは巧妙に苛酷にやがて日本国民を締め上げて行った。
『御一新』されたのは人民に嵌められた首輪であった。
明治天皇制が用意した新しい首輪は徳川幕府よりは巧妙に苛酷にやがて日本国民を締め上げて行った。
それこそ西郷どんが作った明治であった。
鈴木亮平はどう見てもアホにしか見えないが、だから起用したのか、、、どうでもいいけど。