PONGISAYOKUって何ですか?

軍事部門を抱えた会社は犯罪企業である。 自衛隊・米軍、軍事基地が必要だと洗脳されている国民が一気に減少している。Linkfree

松野博一文部科学相は中学生の武道に新たに皇軍がアジア市民を惨殺した「銃剣道」を加えた。


極右カルト安倍内閣が次々に発狂的な極右施策を連発している。
今度はアジア市民惨殺の暗い侵略強盗の歴史を持つ銃剣術を中学生に叩き込むというのだ。
カルト教祖の妄言である教育勅語を朗誦させられる幼児たちの無惨な虐待が森友学園疑惑で報じられ日本中が凍り付いたばかりである。
全土を極右カルトの利権屋が席捲しつつある。

松野博一文部科学相は31日付の官報で、小中学校の新学習指導要領と幼稚園の新教育要領を告示した。
中学の武道に新たに「銃剣道」を加え、武道9種目を示した。
アジア侵略戦争では日本皇軍英霊兵士が多くのアジア国民を銃剣で惨殺した。
柔剣道は1956年・昭和31年に日本銃剣道連盟が結成され初代会長にはアジア侵略の戦犯である旧陸軍大将の今村均が就任した。
皇軍銃剣術によってどれほど多くのアジアの市民が惨殺されたことか。

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改訂案に右翼パブリックコメントで寄せられた意見を踏まえ、「聖徳太子」などの歴史用語を従来の表記に戻す異例の修正をした。
改訂案については、保守系の「新しい歴史教科書をつくる会」が「聖徳太子を抹殺すれば、古代史のストーリーはほとんど崩壊する」などと批判。意見を送るよう会員らに働きかけていた。同会は修正を「大勝利」としている。


●網領では「歩兵は軍の主兵」であること、歩兵の本領は白兵(火力の対する言葉で、ここでは銃剣突撃にあることを強調している。
ーすなわち戦闘の勝敗を決するものは歩兵の白兵突撃であり、その他の兵種は、歩兵の白兵突撃を支援するのが任務であるという考え方が徹底している。

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『日本の歴史』 家永三郎著より抜粋。
・・・日本では明治維新が完全に農民を解放せず、自発性を持った兵士を供給できる国民国家の形成は不徹底であった。そこで兵士の忠誠と勇気を保障するためには、極めて厳しい日常の訓練と懲罰とによって服従を強制するほかなかった。
服従を支えるためにも、天皇への忠誠を柱とする精神主義の強調が不可避であった。1882年の軍人勅論はその現れである。
ーこのような精神主義が極端に強調され、日本軍隊の何よりの特質となる契機は、日露戦争であった。戦争の勝利は日本の陸海軍に、ヨーロッパの模擬から脱却して独自の軍事思想を確立させる機会となった。それは陸軍についていえば物量よりも精神力を重視し、歩兵の銃剣突撃が第一線であるとする白兵主義へと大きく転換したのである。日露戦争では、砲兵火力の劣勢をはじめとする装備の不足という大きな弱点を持つ日本陸軍が、旅順でも瀋陽でも奉天でも、やっとの思いで勝利を得た。これを軍の中央では、火力の不足を克服する銃剣突撃で勝ったのだ、物量の不足にも関わらず、精神力で勝ったのだと信じ込んでしまった。
ー日露戦後の陸軍の典範令は大改訂されうが、精神主義の強調が特に目立つようになる。戦後の1907年に「歩兵操典」は大改訂される。このときはじめて、操典の根本趣旨を示すものとして、「網領」という文章が巻頭に置かれた。ここでは、歩兵の「戦闘に最終の決を与えるものは銃剣突撃とす」と明記された。そしてそのために必要なのは「攻撃精神」であるとし、「攻撃精神は忠君愛国の至誠と献身殉国の大節とにより発する軍人精神の精華なり、武抜これによりて精を発し、教練これにより光を放ち、戦闘これにより を奉す。蓋し、勝敗の数は必ずしも兵力の多寡によらず、精錬にして且攻撃精神に富める軍隊は毎に寡をもって衆を破ることを得るものなり」と精神第一を強調している。
ー先に述べたように、日本陸軍日露戦争後に典範令全般の根本的改訂を行った。それまでは、最初はフランスの典範を翻訳して使っており、1880年代からはドイツ式に改訂を加えていた。それを戦争の勝利に自信を得て、日本独自の典範令類を創りはじめたのである。典範令類の中でもっとも重要なのが「歩兵典範」であった。ここではじめて日本独自の戦法の基本精神が文章化された。その網領では「歩兵は軍の主兵」であること、歩兵の本領は白兵(火力の対する言葉で、ここでは銃剣)突撃にあることを強調している。
ーすなわち戦闘の勝敗を決するものは歩兵の白兵突撃であり、その他の兵種は、歩兵の白兵突撃を支援するのが任務であるという考え方が徹底している。

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