2019-02-26 2・26事件の軍部 時事 松本清張が病床から最後まで作品に仕上げることに執念を燃やしたのが、2・26事件の源流だったのは有名である。 2・26事件のチンピラ将校に対する天皇裕仁の怒りが尋常でなかった理由を清張は厖大な資料を渉猟して明らかにしようとしていた。 二・二六事件に参加、湯河原で牧野伸顕侍従長(伯爵)を襲撃したが負傷、後に自決した河野壽大尉の兄河野司も脚本家の笠原和夫もほぼ清張と同じことを述べていた。 二・二六事件の黒幕は貞明皇后(大正天皇の后、昭和天皇の母)で、 昭和天皇を退位させて、弟の秩父宮を天皇にすることだった。 26日朝に高松宮から連絡を受けた秩父宮は連隊長の許可を受けた上で、翌日の27日に奥羽本線、羽越本線、信越本線、上越線経由で上京した。平泉澄が群馬県水上駅まで迎えに行き車中で一時間半ほど会談している。平泉はのちに「みちのくのつもる白雪かき分けていま日の皇子は登りますなり」と歌を詠んだ。